2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

【未完】父が亡くなった時の話をする。

20130121_0_1.jpg
1 :1 2013/01/20(日) 17:33:21.05 ID:eY1EDxO7P

もう20年も前のことなんだけど。


3 :1 2013/01/20(日) 17:34:40.91 ID:eY1EDxO7P

ごめん、ニーズないかもしれないし、文もまとめてないけど、
誰か読んでくれそうなら書く。

スペック:アラフォー女
父が亡くなった当時:私大学生、妹高校1年生。



5 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 17:39:29.58 ID:Y24drRvf0 BE:3984379586-2BP(0)

読む


7 :1 2013/01/20(日) 17:43:48.12 ID:eY1EDxO7P

>>5
ありがとう。

「男は黙って」のタイプだったので、体調が悪いとか何とか自分からは言い出さなかった。
ただ、あとで聞いた話では
その症状では相当の痛みがあったはずだったらしい。

かかりつけの病院から、山手の方にある大きな専門病院を紹介されて診察を受けた父。

すい臓がんだった。



6 :1 2013/01/20(日) 17:41:33.20 ID:eY1EDxO7P

当時父は52、いや53だったかな。
地元で名前を言えばおおっ、と言われる会社にはいたけど、
私らの親世代のお約束で、中卒即就職だった。
若い時に2~3回転職したらしいけど、
職場の中では一番のベテランだった。

そんな父が前触れ無く職場で突然倒れた。
夏休みが開けた頃だたっと思う。



9 :1 2013/01/20(日) 17:45:50.83 ID:eY1EDxO7P

告知を受けたのは母。

ことがあまりにも重大なので、父方の祖母は私には知らせず、
父のすぐ下の弟と聞いたらしい。

祖母は長男(父の兄)も数年前に癌で亡くしていて、
さすがに伝えるのはしのびないと感じたんだと思う。



10 :1 2013/01/20(日) 17:48:49.40 ID:eY1EDxO7P

検査を受けた病院はバスと地下鉄を乗り継いで30分以上かかる所。
そんな所では看病できない、と思った母は
自転車でなら何とか通える近くの病院への紹介状をもらい、
父も何とか言いくるめて入院手続きをした。

私ら姉妹も含め、家族では病気にほとんど縁がなく、
入院経験もない。
母が慌ただしく支度をしているのを、妹ときょとんと見ているしかなかった。



11 :1 2013/01/20(日) 17:52:53.02 ID:eY1EDxO7P

母は当時メーカーの孫請け会社で働いていた。
私と妹を送り出し、自分も出勤し、
帰りに病院に寄る、それが母の日課になった。

土日はつきっきり状態になった。
少し体調が崩れれば病室に泊まりこむ。

いつもはヒステリー気味な母が勤めて朗らかに父に接していた。

私と妹は病状も病名も、そして余命も知らされぬまま、
半月くらい過ぎていった。



12 :1 2013/01/20(日) 17:53:37.33 ID:eY1EDxO7P

ちなみに、知らされた余命は、2ヶ月。


14 :1 2013/01/20(日) 17:57:37.22 ID:eY1EDxO7P

すい臓がんは、今はもっとわかりやすくなっているのかもしれないけど、
発見されたらもう手遅れっていうものだったそうだ。

短期間だったが病院づとめ経験のある母は
余命を知らされてからも気丈に過ごした。

ただ、そのことを私達娘に知らせるのには相当悩んだと
あとで話していた。



17 :1 2013/01/20(日) 18:03:23.67 ID:eY1EDxO7P

ある日たまたま、家で母とふたりきりになる機会があった。
ほんとに他愛のない話をしてたら、急に母が私に向き直った。

「Mちゃん(私)、お父さん、がんなんだって。」

一言一言、いい間違えないように、慎重に話す母。

私はすぐに理解できなかったものの、
父ががんであり、生きられても11月いっぱいであろうこと、
ここまで理解したあと思考停止した。

母は私を抱きしめてわんわん泣いていた。
私は「父さんがいなくなる」ということだけぼーっと考えていた。



20 :1 2013/01/20(日) 18:07:34.87 ID:eY1EDxO7P

母は落ち着いたあと、私にこう問いかけた。

「Hちゃん(妹)にも話したほうがいいのかな…」

妹は高校に入って半年ちょっと。
もし中学生であったら私も迷ったかもしれないけど、
「私に伝えたなら、Hにも伝えないとおかしいよ」
こう話した。

高校生なら、きちんと向き合えるはずだ、と。

母は頷いて、その1週間くらい後、私がいない時を見計らって、妹に伝えた。

妹も呆然としていたらしい。



21 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 18:07:47.08 ID:AsSd7xDq0

あなたにお子さんがいるなら気をつけた方がいい。遺伝するから。


23 :1 2013/01/20(日) 18:11:33.39 ID:eY1EDxO7P

>>21
私には子どもはいないです。

妹のところに娘が2人います。



24 :1 2013/01/20(日) 18:14:36.25 ID:eY1EDxO7P

私たち姉妹に告知する前後のこと。

母が病室に行くと、父が病室の荷物をまとめて、身支度を始めていた。

「こんなところじゃ治る病気も治らん!転院するぞ!」
こう言って母を急き立てた。

母が行ったのは夕方のこと。
当時既に父は個室にいたので、看護婦さんに簡単な事情を話し、
母はなんとか父をなだめようとした。



25 :1 2013/01/20(日) 18:18:58.68 ID:eY1EDxO7P

仕事一筋で、職場でも古参であり、責任あるところを任されていた父。
一刻も早く仕事に戻りたかったんだと思う。

「お父さん、そんなこと言ったら、紹介してくださった病院にも、ここの先生にもご迷惑がかかるよ」
「まだ治療し始めたばかりなのに、また1からやり直すのはかえって大変になるよ」
「ここの病院から離れたら、MもHもすぐにお見舞い来られなくなるし…」

頭に血が上っていた父は、喧嘩にならないよう努めて話した母の口調でようやっと落ち着いた。

しっかり体治して、また家族で川釣りに行こう、
川辺で取った魚を焼いてみんなで食べよう、
そのために絶対に元気になろうね、

一晩中話し続けていたと母は言っていた。



27 :1 2013/01/20(日) 18:24:07.44 ID:eY1EDxO7P

私も妹も父の余命を知ることとなり、
それぞれに学校帰りは病院に寄るのが習慣になった。

自宅からはそうでもないが、私たちが通学に使っていた駅から病院までは結構距離があった。
私は大学帰りの川べりの道を自転車で走っていった。

幼い頃にハゼ釣りを毎年やった川が眼下に流れている。
ちょうど秋。
あの頃の父や私と同じように、ハゼ釣りに興じる親子が複数組いた。

時間って永遠じゃないんだな、とぼんやり思っていた。



28 :1 2013/01/20(日) 18:28:51.48 ID:eY1EDxO7P

入院初期、父は自力で問題なく歩けていた。

余命を知らされてからしばらくも、点滴を自分で持って歩いてお手洗いに行けていた。

「嘘だと思うでしょ…」
父がいない場で、見舞いに来ていた私たちに母がつぶやいた。

しかし、父は急速に、ほんとうに見る間に弱っていった。
お手洗いに自力で行けなくなり、
やがて立ち上がることすらままならなくなった。

もともと細かった身体は更にやせ細っていった。

私は、どんどんお見舞いに行くのが怖くなった。
弱っていく父を直視できなくなっていった。



29 :1 2013/01/20(日) 18:35:30.52 ID:eY1EDxO7P

大学が遅くなる、というのを理由にしても、父のお見舞いに行く言い訳にはならない。
気持ちの重いまま大学帰りに自転車を走らせた。

入院も1ヶ月を過ぎた頃から、父の言葉が聞き取りづらくなっていった。

「お前、大学は?」
こう聞かれているであろうことはわかるが、言葉が途切れる。聞き取れない。
「今日4限なかったから」
「…ちゃんと勉強しろ」

言葉が続かなかった。

この頃から、母は休職し、ほぼ泊まりこみ状態になった。



30 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 18:40:55.77 ID:kxwRGY3T0

家の親父思い出すわ


31 :1 2013/01/20(日) 18:41:31.71 ID:eY1EDxO7P

家では妹とふたりきりの時間が圧倒的に増えた。
示し合わせたわけではないが、父の病気の話は出なかった。

11月に入った頃、主治医の先生と話す母に頼まれ、その場に同席した。
「顔を合わせたい方がいらしたら、今のうちに…」

その場で泣き崩れるわけに行かない母は努めてはっきりと答えていた。
どう反応していいかわからない私はただドクターに深く一礼した。

幸いだったのは、
入院したと聞いて訪ねてくださる方のほうが多く、
こちらからわざわざ連絡する必要が殆ど無かったことだった。



32 :1 2013/01/20(日) 18:45:52.94 ID:eY1EDxO7P

父の意識が薄れないうちにと、病院の許可を特別に頂いて、
当時の愛犬(プードル)を病室に連れて行った。
犬を溺愛していた父は娘にも見せたことがないような満面の笑みだった。

母には、
「Mちゃん、成人式の振袖、お父さんに見せよう」と勧められ、
病院の近くの美容室で着つけてもらった。
父はただ頷くばっかりだった。
看護婦さんが撮ってくれたツーショットの写真は、
今父の仏壇の中にまとめて収められている。



33 :1 2013/01/20(日) 18:47:36.07 ID:eY1EDxO7P

この辺りで、父はもうわかっていたんだと思う。

普通の入院ならありえない見舞いがある。
長くないのだなと。

11月の中頃。
父の意識が混濁することが増えた。

病棟に折りたたみベッドを余分に用意してもらい、
家族4人で泊まり込んだ。



35 :1 2013/01/20(日) 18:52:58.27 ID:eY1EDxO7P

真夜中だったと思う。
不思議なものを見た。

きちんと閉じられているはずの病室のドアの向こうが見え、
二人の人物が立っていた。
シルエットしかわからなかったが、何故か「男の人2人だ」と直感した。

二人の男性は身じろぎもせずこちらを見ていた。
怖さは全く感じなかった。

夢だったのかただの幻視だったのか、今ではわからない。


その後、父はゆっくりと病状を悪化させた。
意識のある時間のほうが圧倒的に短くなった。
がん細胞はその人の身体が若いほうが増殖は早い。
50代の父は、70代以上の人より早く弱っていった。



38 :1 2013/01/20(日) 18:58:54.08 ID:eY1EDxO7P

父は、母の兄弟姉妹とは仲が良かった。
伯父(母の兄)とは同級生で気が合っていたし、
叔母たちとも軽口を言い合う仲だった。

伯父叔母たちも車で来られる範囲にみんな住んでいたので、
代わる代わる見舞いに来てくれた。

バスで10分ほどのところに住む祖母…父の母も、杖をつきながらやってきた。

「Y(父)は一体どうなってしまうんか…」と嘆く祖母を母が励ました。

祖母は後に、
「Kちゃん(母)があれだけしっかりしとるのに気づかなならんかった。
 あれは普通の状態じゃあなかった。
 わしにはなんも出来んかった…」と
父の仏前で泣き崩れた。



39 :1 2013/01/20(日) 19:03:26.90 ID:eY1EDxO7P

12月になろうとしていた。

いつ急変してもおかしくない、とドクターには既に知らされていた。

私は担当教官と教務課に事情を話し、出来る限り病院に向かうことにした。
もう気が重いとかいっていられる状態ではなかった。

妹はさすがにそうもいかないものの、母が事情を担任に電話し、
何かの時にはすぐ病院に駆けつけられるような手配をした。

父はもう酸素なしでは呼吸ができていなかった。
時々絡むたんの吸入も徐々に頻度が増した。

吸入したたんがなんとも説明しがたい緑色だったことは鮮明に覚えている。



40 :1 2013/01/20(日) 19:06:58.59 ID:eY1EDxO7P

父の弟は当時近所に住んでいた。
時々私たちを送り迎えしてくれることもあった。

「姉さん(母)があの状態では、もしもの時の場所の事も考えておかないと…」

当時まだ葬祭ホールなんてない。
ある程度の葬儀なら自宅でするのが普通だった。

ただうちは弔問客を迎えるにはあまりに狭い。
察してくれた町内の方が、公民館を使えるように話をしてくださっていた。

大学生の身分ではこのあたりのことは何も出来ようがない。
ただ心配りに頭を下げた。



41 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 19:08:14.43 ID:svQn5upb0

なみだがとまらん


42 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 19:13:22.53 ID:IHLGXx7Q0

周りが声かけてくれるなんてなー
お父さん素敵な人だったんだな



45 :1 2013/01/20(日) 19:18:53.19 ID:eY1EDxO7P

>>41>>42ありがとう。

あとで書こうと思うけど、父の葬儀には信じられない数の人が来てた。
いい人だったんだってそこで改めて痛感した。



43 :1 2013/01/20(日) 19:13:47.11 ID:eY1EDxO7P

12月に入ってすぐ。
来てほしくない日が来た。

父には数々の器具が付けられ、青黒い表情のまま僅かな呼吸をしていた。

誰が連絡したのだろう、いつの間にか父の姉、弟、妹とその家族、
近くに住む従兄弟も駆けつけて、個室周りには20人弱いた。

ずっと心電図を見守る叔父たち…。

母は2ヶ月間の根を詰めた看病が祟り心臓を弱くしていた。
たださすがにこの時は父の真横に座り、
私と妹がそれに続いた。

ただただ動揺するばかりの妹。
心の置き場がなくウロウロする私。

夜10時を過ぎようかという頃、
心電図が止まった。



44 :1 2013/01/20(日) 19:17:31.26 ID:eY1EDxO7P

ドクターの心臓マッサージが始まった。
母はただ嗚咽するばかり、
妹は父を揺さぶり、
「お父さんまた川釣りに連れてってくれるんじゃないの!?
 行くんでしょ!?
 またみんなでヤマメ釣るんでしょ!?」と絶叫。

私は言葉も出せず父を見ているしかなかった。
むしろドクターの手を止めたかった。
楽にさせてやってくださいと言いたかった。

何も言えないまま、その時がきた。

22時3分。
父は他界した。



48 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 19:31:23.67 ID:gsGbwr6a0

うちの親父も俺が中2の時死んだ...


49 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 20:19:16.85 ID:RRP6Ugq70

俺も高一の時母親がガンで死んだよ
自分も知らされてなかったし本人にも最後まで告知しなかったんだけど
本人もやりのこした事があるだろうし最後の入院までに告知してやれば良かったのにと思ってる



52 :名も無き被検体774号+ 2013/01/20(日) 21:41:40.03 ID:Ez7zO+dm0

三ヶ月前、父子家庭で必死に大学生の兄と高校生の私を育ててくれていた父が急死した
笑顔がたえない父親で前日に仲良くみんなでご飯食べてたのになぁ
本当に急死だった
お父さんしか飲まないコーヒーがずっと残ってる

>>1 辛かったね。



以下転載禁止のため、続きは本スレで
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1358670801/
関連記事
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントの投稿

非公開コメント